【注目】音楽プロデューサーの情報まとめ!!小室哲哉から長戸大幸まで!!

現在では縮小気味の日本の音楽産業ですが、そんな中でも、結果をコンスタントに出し続けるプロデューサーはいます。

今回は、日本の音楽プロデューサーの情報をまとめてみました。

この記事は、個人が書いた記事であるため、間違った情報である可能性を考慮したうえで読んでください。

順番に関しては、私の思いついた順なので意味や意図は特にありません。

プロデューサーまとめ

長戸大幸

長戸大幸(ながとだいこう)さんは1948年生まれで、滋賀県出身のプロデューサーです。

滋賀県立膳所高校という滋賀県でもトップを争う県立高校在学中にバンドのような活動を始めています。

その後、青山学院大学に進学し中退しています。

作詞作曲の活動をしながら、副業でブティックを経営していました。

そして、オフィス・トゥー・ワンという以下で紹介する阿久悠さんが所属していた会社に就職します。

その後、1978年にビーイングを起業します。

この会社で、B’zやZARD、倉木麻衣、大黒摩季などの人気アーティストやバンドをプロデュースしました。

そして、それらのアーティストやバンドのCDがオリコンのランキングの上位を独占するビーイングブームと呼ばれる社会現象が起こりました。

また、ビーイング系のアーティストがテレビやラジオのようなメディアに出演しないことから、『露出を減らして神秘性を上げる』方法を『ビーイング商法』と呼ばれるほどにもなりました。

のちに紹介する、小室哲哉さんも長戸大幸さんを評価していて、CMに合わせて楽曲を作るのがうまかったようです。

ちなみに、東急東横線の代官山駅周辺の土地を所有していて、そこの地価を上げるために、多くのアパレル系の店舗を配置して町を盛り上げたようです。

下で紹介していますが、作曲家として有名な織田哲郎さんがまだ、プロになっていないときに、デモテープを聞いて才能に気付き、織田さんの両親を説得しに行ったそうです。

長戸大幸さんに関しては、一つの記事にもっと細かく書いているので、興味がある方はそちらも読んでいただけると嬉しく思います。

小室哲哉

小室哲哉(こむろてつや)さんは最近でも、いろいろと話題となっていて、知っている人も多いと思います。

1958年生まれで、幼少期から音楽に触れる生活をしていたようです。

早稲田実業高校に進学後、早稲田大学社会学部に進学しています。

在学中に作曲活動をしていたようです。

その後、大学を中退して、音楽活動を本格的に始めていたようです。

小室哲哉さんは『MY Revolution』が賞を取ったことによりその名を取どらかせましたね。

その後、以下でも紹介する、avexの創業者であり、プロデュースも行っている松浦勝人さんと出会い、そこから、小室ブームと呼ばれる社会現象も起こしました。

ダンスミュージックといった当時、日本には少なかった市場の空白を狙ったようです。

ダンス・ミュージックを主軸に専念した理由として、「カラオケとディスコが流行りだしていて、ディスコの後にカラオケに行く人が多かった。でも、歌う曲はサザンオールスターズ・松任谷由実さん・ZARDのような熱唱しなければいけない型ばかりで、ただタンバリンを持ってメロディに合わせて踊るだけでは無理がある曲が多かった。だから、歌うか・踊るかどちらに行っても楽しめる曲がもっとあってもいい。僕から見るとそこがマーケットとしての空白だった」と語っている。

Wikipedia-小室哲哉より

須藤晃

https://www.musicman.co.jp/interview/19700より

須藤晃(すどうあきら)さんはソニー系のプロデューサーです。

1952年生まれ、東京大学文学部英米文学科を卒業しています。

過去に、浜田省吾さんのディレクターを務めたこともあり、交流があったようです。

この型に名前で真っ先に思い浮かべるのは尾崎豊さんでしょう。

尾崎豊さんが16歳の時にオーディションを受けに来た時に審査員の一人であったのが須藤晃さんです。

その後、須藤さんは尾崎豊さんのプロデュースに携わります。

尾崎氏の死後、楽曲の権利関係を遺族の方を話していたのも須藤晃さんのようです。

多くのアーティストをプロデュースしながら、他の業種の方との人脈も多く多彩な面を持ったプロデューサーです。

織田哲郎

YouTubeチャンネルより

織田哲郎(おだてつろう)さんは過去にビーイングに所属していたアーティストでもあり、現在では、作曲やプロデュースを行っている方です。

明治学院大学に在籍中に音楽活動を活発に行っていたらしく除名となったようです。

彼が、まだ学生の時に、ビーイングの長戸大幸さんがたまたま織田哲郎さんの音源を聞いて、コンタクトを取り、その後、才能を発掘しています。

織田哲郎さんも『お世話になった』と話しています。

ビーイングブーム時の楽曲には多くの織田哲郎さんが作った曲が存在します。

特に、ZARDとWANDSに多くの楽曲を提供していました。

私の記憶が正しければ、織田さんが最初にプロデュースしたのは相川七瀬さんでしょう。

このプロデュースも、作詞作曲も同時にやるという少し変わったプロデュースとなっていました。

現在では、YouTubeチャンネルも作っていて、楽曲作成の裏話を聞くこともできるようになっています。

秋元康

wikipedia-秋元康より

秋元康(あきもとやすし)さんはアイドルグループを多く作っていますね。

○○坂といったグループはほとんど秋元康さんが作っています。

過去には多くのテレビ番組に出演していました。

オリコンのシングル売り上げで作詞家としては小室哲哉さんを抑えて3位に入っています。

小室哲哉とやしきたかじんの「その時の空」で初の共作で楽曲提供。

Wikipedia-秋元康より

松浦勝人

avexの代表でもある松浦勝人(まつうらまさと)さんですが、プロデュースも行っています。

以前に、浜崎あゆみさんのドラマでプロデュースの裏側的なことを話していましたね(笑)

ユーロビートのような曲も多くプロデュースしていることでも有名です。

小室哲哉さんが詐欺でパクられた時に保釈保証金を支払ったことも明かされています。←支払ったのはエイベックスですが、その決定に大きく関与したのが松浦勝人さんだとされています。

小室哲哉とは、1991年にエイベックスが本格的に音楽制作に参画した当初から、タイアップ交渉・所属会社の壁を越えた撮影チーム結成に対するための融通、カラオケ画面でのアーティスト本人のPV映像の上映を実現するためのコーディネートに奔走する等公私に渡るパートナーであったものの、制作・セールス方針、印税の分配等で松浦・千葉と小室の意見が決裂、1990年代半ば頃から険悪化し、1997年から長期間絶縁状態にあった。その後はエグゼクティブ・プロデューサーとして企画のチェックに関わる事はあっても、マネジメント等の協力・プライベートの交流は皆無に等しかった。

Wikipedia-松浦勝人より

まとめ

いかがでしたか?

楽曲政策は多くの人がアーティストに目が行ってしまい作成段階のプロデューサーを知らない人も多かったりするのですが、調べてみると売るための考えとかはかなり面白く思えます。

他にもたくさんいると思うので調べてみてはいかがでしょうか。

上でも書きましたが、この記事は個人が書いた記事であるため、間違っている可能性があるので、本当に気になる人はご自分で調べてください。

大学生新聞ドットネットでは他にも多くの記事を更新していますが、その中でも、最近はアーティストに関連する記事を多く更新しています。

興味がある方はそちらも読んでみてください。

アーティスト記事

Author: haruto