【ドリキン】土屋圭市ってどんな人?!碓氷峠の走り屋だった?!

こんにちは!

皆さん、ドリキンという言葉は聞きなじみがありますか?

まあ、この記事にたどり着いている時点で知らない人はいないでしょう。

ということで、今回は、ドリキンこと土屋圭市さんがどのような人なのかということをレースの経歴や伝説的な話を踏まえながら、話していこうと思います。

土屋圭市とは

土屋圭市さんは長野県出身のレーシングドライバーです。

現在では、ARTAと呼ばれる鈴木亜久里さんが代表を務めているチームのエグゼクティブアドバイザーを務めています。

また、ホットバージョンというビデオマガジンに出演しています。

まあ、超基礎的な話はこの辺にして、土屋氏の走り屋時代からまとめていこうと思います。

土屋圭市のアマチュア時代

土屋圭市さんは、中学生の時に当時、日本一を争うレーシングドライバーであった高橋国光さんのレースを見てモータースポーツの世界に飛び込みます。

そして、中学生の時から練習を始めます。

免許を取ってからも峠で練習をしていたようで、碓氷峠で練習をしていたりしたそうです。

当時、モータースポーツはとても高額な資金が必要となってきたりするため、サーキットで練習することができず、峠で練習して、レーシングドライバーを目指す走り屋も少なくありませんでした。

もちろん、違法暴走行為なので、良いことではありませんが、高度経済成長期であり、まだ先進国とは呼べない時代の話なので今の感覚とは大きく異なるのかもしれませんね。

リアル頭文字Dですね(笑)

若手レーサー時代の土屋圭市

アマチュアのレースに出ていて、そこで、板東商会というチーム?的な団体にサポートを受けていきます。

坂東商会と土屋圭一

板東商会というのは、現在では株式会社レーシングプロジェクトバンドウという名前で、スーパーGTのチームをやっていたりします。

坂東正明(ばんどう まさあき)さんという方が代表を務めていた時代に土屋圭市さんは活動していました。

坂東正明さんは現在ではスーパーGTの運営をしていたりします。

しかしながら、土屋圭市さんが所属していた時代はかなり激しく危ういこともやっていたようで、真っ黒のトラックでサーキットに入り、『退け』と一言。

するとピットで朝から準備していた違うチームの人が退くというなかなか、裏社会のようなことをしていたようです。

また、トヨタが作った高級車である『ソアラ』を無理やりレーシングカーにして、トヨタとTRDがやめるようお願いしたのを無視してサーキットに出したというエピソードがあったります。

坂東氏が起用するドライバーは峠出身の走り屋が多く、土屋圭市さんの他にも織戸学さんや谷口信輝さんといった方をレースの世界に導いたりしたそうです。

土屋圭市さんからは、『この人は本当に面白い』と話しています。

毎日壊れるレーシングカーにドライバーを載せたり、エキゾーストを車内に通したことによりレーシングシューズに火が付いたり、まあ、現代では考えられないような話がありますね(笑)

この話は土屋圭市さんのユーチューブチャンネルで話していたりします↓↓

坂東正明さんの息子であり、現在のレーシングプロジェクトバンドウの代表を務めている坂東正敬さんのことについては他の記事でも書いているので、興味がある方はそちらも読んでみてください。

土屋圭市さんとの関連もある監督です。

ハコ車でドリフト時代

プロに入ってからも、ドリフトでコーナリングをすることでとても有名でした。

昔のレーシングカーは市販車をチューニングすることでできていたため、車体にもムラがあったり、タイヤもグリップしないものを使っていて、前後のグリップのバランスが悪いことも多かったようです。

そんな時に、コーナー入り口で、アンダーステアを出してしまうと、どうしてもタイムが伸び悩んでしまいます。

なので、入り口からリアタイヤを流すことにより、4輪すべてのグリップを使ったコーナリングが可能になり、早くなります。

このことを利用して、特に、ミューが下がる雨のレースでは土屋圭市さんのドリフトはとても早く観客を魅了するものとなっていきました。

そんなドリフトはグループAで大活躍し、タイサンGTRの土屋圭市のドリフトというのは聞いたことがある人も多かったのではないかと思います。

タイサン時代には中学生の時あこがれていた高橋国光さんと同じチームで参戦できることに喜んでいたという話もあります。

土屋圭市のスーパーGT

土屋圭市さんはスーパーGTにも参戦していました。

タイサンの後にはトヨタのSARDから参戦をし、最終的には現在エグゼクティブアドバイザーを務めるARTA(オートバックス・レーシング・チーム・アグリ)からドライバーとして参戦を果たします。

しかしながら、GT500はとてもパワーがあり、タイヤの性能も飛躍的に上がったことから土屋圭市氏の体も悲鳴を上げ始めます。

土屋圭市のGT500引退

土屋圭市さんもついに引退をします。

2003年のことです。

しかしながら、当時の取材に対して、土屋圭市氏は、

『俺にラストランはない。
 ただ、GT500から引退するだけだ。』

という発言をしていて、決してドライバーとして引退するのではなく、GT500を引退するだけで、ホットバージョンや他のレースには参戦することも併せて話されていました。

生涯現役という言葉も残しています。

実際に、現在でも86のチューニングをするためにサーキットで走りこんだり、レースをするのを見かけている人も多いのではないかと思います。

ホットバージョンとは

ホットバージョンというのは、土屋圭市氏が主役となって出ていることが多いビデオとなっています。

新型の車を紹介したり、チューニングについて語ったり、86のテストの模様を見ることができたり、といろいろなコンテンツが含まれているビデオとなっています。

土屋圭市と脇阪寿一

これは余談になりますが、レーシングドライバーでF1のテストドライバーも務め、GT500のチャンピオンも経験し、現在では監督とTGR(トヨタ・ガズー・レーシング)のアンバサダーを務めている脇阪寿一氏とも交流があります。

エピソードとして、以下のような話をしています。

『土屋さんに
 「俺を簡単に抜いていくんじゃない。
 テレビに映らないだろ。
 せめて、少しは何周か付き合ってから抜いていけ。」
 といわれた』

といった話をしています。

実際に話している動画を下に載せておきます↓↓

観客が喜ぶレースをすることを考えていたようで、脇阪寿一氏もそれについては尊敬しているようです。

二人は現役時代もホットバージョンで共演して、車について熱く語ったり、くだらないことをやっていたりしました(笑)

引退後もブリジストンのトークショーでも二人で話しているのをよく見かけることも多いと思います。

脇阪寿一さんに関する記事も書いているので、興味がある方はそちらも読んでみてください。

イニシャルⅮと土屋圭市の関わり

イニシャルⅮといえば、峠の走り屋が公道最速を目指し最終的にはレーシングドライバーになっていくストーリーなのですが、これがとてもリアルに作られています。

これは、土屋圭市氏が関わっているからなのではないかという声もあったりします。

イニシャルⅮの漫画は下のサービスで無料で読むこともできるようになっています。

興味がある方は、見てみてください!

1995年に連載が始まった漫画「頭文字D」を、自らのラジオ番組で絶賛したことから、1997年に雑誌の対談を経て作者のしげの秀一との親交が始まり、翌1998年から始まったアニメ版「頭文字D」では、バトルシーンにおける監修を務め、登場する車の走行音を自ら運転して収録するなど、製作で深く関わっている。

wikipediaより

最近では、イニシャルⅮの聖地に土屋圭市さんが訪れている動画がユーチューブ上に公開されていました↓↓

土屋圭市のサングラス

土屋圭市さんはレーシックの手術を受けているため、視力はよく、日常生活ではほとんど裸眼だそうです。

メガネをかけることはあまりないのですが、サングラスを着用していることが多く見受けられます。

ということで、土屋圭市さんがいつも付けているサングラスがどこのものなのかを調べてみました。

写真や動画を見た感じだと、おそらく以下のものです。

レイバン 0RB-3716

レイバンはとても有名なサングラスのメーカですよね。

土屋氏のサングラスを見たところ、ほとんどがレイバンのものだと思われます。

その中でも、特に使用頻度が高いものがこのレイバン 0RB-3716だと思います。

ファンの方はお揃いになるチャンスですね(笑)

土屋圭市の公式Twitter

土屋圭市さんもTwitterをやっています。

かなり返信とかも熱心にされているので、興味がある方は見てみてはいかがでしょうか。

土屋圭市についてのまとめ

いかがでしたか?

土屋圭市氏には他にもたくさんの伝説がありますが、この時代はとても面白いですよね。

レーシングドライバーで速く走るだけでなく、観客やモータースポーツに興味がない人すらも振り向かせるカリスマ性や人を引き寄せる力は魅力を感じる人は多いのではないかと思います。

大学生新聞ドットネットでは他にも多くの記事を更新しています。

モータースポーツに関する情報も載っていたりするので、興味がある方はそちらも読んでみてください。

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Author: haruto