ZARD坂井泉水と尾崎豊の共通点!影響を与えたのは石川啄木?!

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ZARDといえば、今年30周年を迎える坂井泉水氏を中心とした音楽グループであり、尾崎豊といえば『若者のカリスマ』と呼ばれ多くの若者を虜にしたミュージシャンです。

そんな彼らが同時に参考にしたり、好んでいた詩人に石川啄木という人間がいます。

ということで、今回は、ZARD坂井泉水氏と尾崎豊氏がどのように石川啄木に影響を受けたのかということについて、話していこうともいます。

はじめに

はじめに、石川啄木の基本情報を書いておきます。

『そんなことは知ってるよ!』

という方や

『興味なし!』

という方は、次の『二人に受けた影響』という見出しまで飛ばしていただければ、良いかと思います。

石川啄木とは

石川啄木は歌人および詩人です。

1886年に岩手県で生まれています。

詩人や作家にしては珍しく、勉学はあまり得意ではなかったようで、学校では、カンニングをしたり、出席日数が足りなかったりとあまり優秀ではなかったようです。中学校を中退しています。

ちなみに、その中学校には金田一京助や宮沢賢治も在籍していたようです。

その後、詩人として成功をおさめ、多くの著名人と親交を深めながら、社会に絶大な影響を与えました。

しかしながら、26歳という若さで肺結核のため、亡くなっています。

2人に与えた影響

この記事は、石川啄木が坂井泉水氏と尾崎豊氏に与えた影響について解説していきます。

  • 坂井泉水への影響
  • 尾崎豊への影響

の順で話していきます。

坂井泉水への影響

楽天市場より

2021年に30周年を迎えるZARDのヴォーカルである、坂井泉水さんはZARDの楽曲のほとんどの作詞を務めており、Field of viewやテレサテンにも作詞提供をしていたりします。

そんな坂井氏の詞は、『言葉の一つ一つがきれい』とされることがあるぐらい、魅力の多い詞を書くようです。

実際にZARDのライブでは

『私はいつも本当に言葉を詞を大切にしてきました。音楽でそれが伝わればいいなと願ってます』(坂井泉水)

と話しているぐらいなのです。

そんな坂井泉水氏は、石川啄木の詩を好んでいたようで、2021年委開催された『ZARD/坂井泉水 心に響くことば展』では、坂井氏が実際に読んでいた多くの石川啄木の書籍が展示していました。

私が見たところ10冊以上あったように見えました。

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このことからも、坂井泉水氏が石川啄木に影響を受けたということはおわかりいただけたでしょう。

名曲:”君がいたから”への影響

また、坂井氏は、

『友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ』(石川啄木)

という詞とても好きだったそうです。

坂井氏の詞には石川啄木の詩と多くの共通点があるそうです。

Field of viewに提供した『君がいたから』は石川啄木から受けた影響を最も感じやすい曲のようです。

特に

『友達が自分より偉く見えたよ 僕はちっぽけな存在だった』(坂井泉水)

この部分はかなり似ていますよね。

もちろん、坂井泉水さんが実際にこの詞を作るときに影響を受けたのは、石川啄木ではないかもしれませんが、感性は似ているのかもしれませんよね。

明治大学教授による分析

国際啄木学会会長の池田功・明治大教授(日本近代文学)は会場内の解説で、啄木が作品を発表した日清・日露戦争から大逆事件の時代と、1980年代に(バブル)経済が膨張しその後崩壊に向かった時期を比較。「啄木は明日に期待を込める短歌を読み、(坂井さんは)不況に苦しむ人に応援メッセージとでもいえる歌詞で励ました」と分析している。

https://www.iza.ne.jp/article/20210625-QER4OA2CR5KFXGVWKGWDJWXMFI/

坂井さんは、石川啄木の詩集の中でも特に『一握りの砂』が好きだったようです。

一握りの砂

私も影響を受けて購入してしまいました(笑)

尾崎豊への影響

画像出典元:Pinterest

尾崎豊氏はデビューする前から石川啄木が好きだったようです。

尾崎氏の父親は自衛隊に勤めていて、とても厳しい方だったらしく、その、尾崎氏の父親が石川啄木を読んでいたことに影響を受けたそうです。

この話は、尾崎豊氏のミュージシャン人生をドラマ化した『風の少年〜尾崎豊 永遠の伝説〜』で話されていたものです。

風の少年〜尾崎豊 永遠の伝説〜

このドラマは、成宮寛貴さんが尾崎豊さんを演じて、その演技力が話題になりましたよね。

私も全部見ましたが、感動できる部分がたくさんありながらも尾崎氏の人生の面白い部分もたくさん表現されているドラマとなっていました。

名曲:15の夜,卒業への影響

不来方の お城の草に 寝転びて 空に吸われし 十五の心(石川啄木)

誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15の夜(尾崎豊)

この二つの歌の比較はよくされますよね。

15歳という多感な時期に二人が感じたものは似ていたのかもしれませんね。

また、尾崎氏は他にも、『卒業』という曲の中に

校舎の影 芝生の上 すいこまれる空(尾崎豊)

というフレーズがあり、これも同じ詩から影響を受けたのかもしれませんね。

死の共通点

尾崎は文京区にある病院で死去。啄木も、文京区にあった自宅で亡くなっています。また、二人とも肺に起因する死因(肺水腫と肺結核)でした。

https://blog.goo.ne.jp/mk1_1978/e/a011954026cb6ca339b24cbce41a6779

無くなった場所も同じであり、また、享年も同じ26歳となっています。

まるで運命のようですよね。

プロデューサー須藤氏

上のドラマで、話されていたのですが、尾崎豊氏のプロデューサーであった須藤晃氏も石川啄木を好きだったようです。

ちなみに、彼は『浜田省吾』や『尾崎裕哉』のディレクターやプロデューサーをやっていたりします。

ちなみに、東京大学を卒業していて、在学中は英米文学関係を先行されていたようです。

現在でも、たまにテレビで見かけたりします。有名な方です。

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尾崎豊と坂井泉水

尾崎豊氏と坂井泉水氏はそれぞれ、1965年,1967年に生まれています。

生まれた時期は同じでも10代のころから活躍していた尾崎豊氏と20代中盤から活躍し始めた坂井泉水氏とではあまり接点はなかったようで、対面したといったエピソードを私は聞いたことがありません。(もしかしたら、あるのかもしれませんが、、)

ネット上でも書かれていることはありませんでした。

『2人に関係性があるのか?』

と疑問に思う方も多いようです。

ネット上の声

どうやら、坂井泉水さんと尾崎豊さんを好きな人はいまだに多いようですね。

まとめ

いかがでしたか?

あまり知られていない、坂井泉水さんと尾崎豊さんの詩への考え方について今回はまとめさせていただきました。

この記事は、個人が書いた記事であるため、かなり主観が入ってしまっているとは思いますが、そこのところはおおめに見てください(笑)

大学生新聞では、他にも、尾崎豊さんに関する記事やZARDに関する記事を書いているので、興味がある方はそちらも読んでみてください。

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