現在でもリクルートと言えば、就活生の人気な日本の大企業ですよね。
意外と知られていないかもしれませんが、リクルートを作った江副浩正さんというのはとてつもないアイデアマンなのです。
ということで、そんな江副浩正さんという人がいかに天才ですごい人であるかということを紹介していこうと思います。
江副浩正という天才のすごさはどこにある?
それでは、江副浩正さんの詳細について紹介していこうと思います。
リクルートを創業するまで
江副浩正さんは1936年に愛媛県の現在の今治市で生まれます。つまり、戦前ですよね。
この時代はまだまだ戦争をしていたため、戦災により江添さんは家を失ったりすることもあったようで、その後、大阪府大阪市や富中市など転々としたようです。
甲南中学校・高等学校に入学
小学校を卒業後、江副浩正さんは甲南中学校・高等学校に入学します。
甲南中学校・高等学校は兵庫県の芦屋にある学校です。芦屋といえば、超高級住宅街です。
そのため、同級生には資産家の子供も多く通っていたりしたようです。
東京大学入学
日本一の大学である東京大学に入学します。
当時の東京大学の入学試験はドイツ語でも受験することができたようで、江副さんは入試を突破するために比較的に簡単とされていたドイツ語で受験されたようです。
東大在学中にリクルートの前身を作る
江副浩正さんが作った日本一のベンチャー企業と言われているリクルートは実は、江副さんが東大在学中にサークルのように存在した東京大学新聞社というところからスタートします。
当時、東京大学新聞社は大した利益を出せていなかったようなのですが、江副浩正さんのあるアイデアにより劇的に変化します。
求人広告を掲載
『東大卒の学生が欲しい』と企業が思うことは当然でしょう。
そこに目をつけた江副浩正さんが、東大の新聞である東京大学新聞に求人の広告や就活イベントの広告のようなものを掲載したことにより、これが大きな反響を呼びます。
企業の広告出展により利益増大
企業が広告を多く出稿することにより、東京大学新聞社は大きな利益を出したと言われています。
ここに目をつけたのでしょう。広告により莫大な利益を作ることができることを知った江副浩正さんは次の行動に移ります。
大学新聞広告社を設立
1960年に大学新聞の広告代理店として大学新聞広告社を設立します。
新卒採用の広告の代理店を行なっていたようです。これは就活生に大きな衝撃を与えたようです。
この会社では求人広告を学生に向けて送りつけるような事業も行なっていたようです。
情報誌を作成
1962年には就活生向けの情報誌を作成し始めます。
現在のリクルートを思い受けべてもらえればなんとなく想像が着くとは思いますが、広告が掲載されている情報誌を売るような形になっています。
企業への招待を発行開始
『企業への招待』という情報誌を発行し始めます。
これまでは、雑誌はコンテンツを作って、その片隅に広告が入っているぐらいのものでしたが、広告さえも売れると考えた江副浩正さんが、求人広告が集まった雑誌を販売し始めます。
革命的商売
つまり、作成にあたり、広告費を受け取りながら、販売をするという革命的な商売を始めるのです。
これがうまくいったからなのかもしれませんが、1963年に社名を変更します。
社名を「株式会社日本リクルートメントセンター」に変更
少し違いますが、リクルートの名前の片鱗が見え始めますよね笑
江副浩正さんは、ここから一気にリクルートを日本の代表的な企業へ進化させていきます。
利益は上昇し続ける
リクルートの利益は上昇し続けます。
特に高度経済成長であったこともあり、求人やその他の細かい事業でも成功を収めていきます。
有名なものとしては住宅系ですね。
住宅情報(現・SUUMO新築マンション)を作成
現在のようにテレワークやZOOM会議ができない当時は転勤や長期出張が多かったこともあり、住宅情報誌のようなものにも多くの広告が掲載されており、こちらでも利益を出すことに成功されています。
不動産価格も上昇し続けていました。そんな中、江副浩正さんはとある趣味を持っていたことにより新規事業を開設します。
リクルートコスモス設立
江副浩正さんは投資がお好きだったようで、そのための不動産投資ビジネスも始めたようです。
土地を仕入れてそれを高値で貸すなり売るなりするのが不動産ビジネスですが、こちらは情報誌とは異なり、仕入れが必要になってきます。
また、高度経済成長期であったがゆえに、地価は上がり続けました。
ファーストファイナンス設立
ファーストファイナンスという会社も設立しています。
この会社は不動産ビジネスと関係があるのですが、レバレッジをかけるための貸金業社だったようです。
銀行が貸すことのできないようなものに対しても貸していたようで、ある意味、高度経済成長により盲目になっていたのかもしれませんね。
ここから江副浩正さんの人生に危機が生じます。
社名を株式会社リクルートに変更
1984年に社名を株式会社リクルートに変更しました。
ここから、リクルートと呼ばれる会社に変わりました。
江副浩正が会長に就任
1988年には江副浩正氏はリクルートの会長に就任します。その後、相談役に就任し、最終的には、この年で相談役も辞任されます。
1988年はリクルートと江副浩正氏にとっては激動の年となります。
1988年リクルート事件
リクルート事件というのが起こります。
リクルート事件というのは、先ほど紹介したリクルートコスモスの未上場株を有力な政治家や官僚に渡していたとされた事件です。
購入されていた方もいるようなのですが、これが未上場株ということで値上がり確実と言われていたようです。
多くの政治家を巻き込む大惨事
この事件は結局は江副浩正さんは2003年に懲役3年執行猶予5年の有罪判決と落ち着くのですが、1980年台の事件が2000年台まで引っ張られるというのは稀です。
この事件により竹下内閣は倒れ、多くの自民党をはじめとした有力政治家は起訴されたのですが、執行猶予がついたり、略式起訴で治ったりしています。
バブル崩壊
バブル崩壊により江副さんはリクルート事件に続きダメージを受けることになります。
バブル崩壊によりダメージを受けた企業や個人は多いのですが、その中でも江副さんが受けたダメージは大きいものとなりました。
江副浩正のダメージが大きい理由
先ほど紹介したリクルートコスモスは不動産の会社ですので、大きくダメージを受けることになりますし、不動産系に金貸を行なっていたファーストファイナンスもダメージを受けます。
また、江副浩正さん自身も投資を好んでいたことからダメージを受けます。
このことによりトリプルパンチを喰らう形になりました。また、これらのダメージに加えて新事業も初めてしまっていました。
新事業の失敗?
新事業が失敗とまではいかなくてもうまくいかなかったものがあります。
それが以下のものです。
- 回線リセール事業
- スパコンの時間貸し
それぞれについて少しだけ解説していきます。
回線リセール事業
当時、電電公社が民営化されたことにより、多くの事業者がNTTの事業に参入していきます。
例えば、KDDIや日本テレコムです。
これにリクルートも参入しようとしたのですが、原価が高い事業であったことやいろいろなダメージがあたことからうまくいかなかったようです。
スパコンの時間貸し
スパコンは、スーパーコンピュータの略であり、これを購入してきて時間貸ししていたようです。しかしながら、コンピュータの発展は当時は凄まじく1年や2年で型落ちとなってしまっていたため維持費がかかりすぎたようです。
スーパーコンピュータを購入することにより、リクルート自身の新卒採用(特に理系の院卒など)にも役立てていたようです。
理系院卒を狙った理由
理系の院卒は当時、コンピュータをやりたくてもやれない状態であったのにも関わらず、リクルートならスパコンを触りその事業に参加できると考えた学生が多かったのも事実だったそうです。
この理系採用により、のちのデジタル化をうまく進めることができました。
社長室長が賄賂を贈る
リクルート事件が大きくなってしまった理由として、国会でリクルート事件が起こってしつこすぎたため、社長室長が賄賂を送ってしまったようです。
その賄賂を送ったところを日本テレビの隠しマイクで撮られてしまっていたようで、それが大騒ぎになり、メディアがこぞって報道したことにより、江副さんとリクルートのイメージは大きく落ちてしまいます。(隠しマイクを仕込んでいたこともいかがなものかと思いますがね)
リクルート株をダイエーに売る
バブル崩壊やリクルート事件、新規事業の失敗といった度重なる負債により、江副浩正さんはリクルート株をダイエーに売り渡します。この時売買されたリクルートの株は35.2%だったようです。
これにより、リクルートとダイエーは関係を持ち始めます。
取締役名誉会長を辞任
江副浩正さんは取締役名誉会長を2002年に辞任され、ここで江副浩正さんとリクルートとの関係は途絶えたようです。
東京駅で倒れる
スキーの帰りに東京駅で倒れて東京都内の病院に入院中に肺炎でお亡くなりになられたようです。
江副浩正に関する書籍
江副浩正さんに関してもっと知りたいと思う方も多いと思うので、おすすめの江副さんに関する本を紹介していこうと思います。
起業の天才!―江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男
最もおすすめなのはこちらの起業の天才!―江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男です。
もし興味がある方はこちらで少し情報を得てみてはいかがでしょうか。
江副浩正の評価
江副浩正さんは多くの人から評価されています。
少しだけ紹介しようと思います。
堀江貴文氏からの評価
堀江貴文さんからはかなりの高評価を得ていて、自身をリクルートマニアと呼ぶほどリクルートという会社が好きだったようです。
元リクルートの方々にインタビューもするほど、尊敬?されていたようです。
YouTubeで紹介
リクルートという会社を紹介するためにyoutubeに動画を2つも上げてしまうほどです。
百田尚樹氏からの評価
先ほど紹介した堀江貴文さんとともに出ていたニュースピックスのチャンネルで、百田尚樹さんは江副浩正さんを『すごいアイデアマン』と読んでいました。
ニュースピックスの動画
ニュースピックスでの江副さんの話は以下の動画で話されています。
こちらの動画でも堀江さんは江副さんをすごく褒めていますね。
ひろゆきからの評価
2ちゃんねるを作った西村博之さんも江副さんは超優秀と評価しています。
ここではけんすうと呼ばれるリクルート出身の実業家についても触れられています。
けんすう氏(古川健介さん)については他の記事でも紹介しているので、興味がある方はそちらの方も読んでみてください。
天才実業家まとめ
大学生新聞ドットネットでは、江副浩正さんの他にも天才的な実業家について書いている記事があるので、そちらも読んでいただけると幸いです。
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江副浩正のまとめ
いかがでしたか?
今回は、リクルートの創業者の江副浩正さんがいかにすごいのかということを紹介させていただきました。
この記事は個人が書いた記事であるため、間違っている可能性もあることは注意してください。
最後までご覧いただきありがとうございました。